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サックス 敦

*今日のつぶやき*(1/6) 部屋で育てているギンモクセイが開花中で、香りに癒されています 敦

初めての沖縄旅行3 <戦跡巡り編>

紹介が最後になってしまったけど、
今回の沖縄旅行で私が一番見たかったものは、かつての戦争の傷跡。
ただし生々しすぎて、写真はあまり撮っていない。

 首里城    斎場御嶽

上の写真のうち左は、首里城の一角にある沖縄守備隊第32軍陣地入口跡。
右の写真は斎場御嶽に残る戦跡。砲弾の落ちた穴に水が溜まって池になったもの。

ところで、沖縄に行ってまず最初に感じたことは、
現地の人が地元の戦跡を意外に知らない…ということ。

ネットに情報がある戦跡ですら、
観光案内所の職員も公認ガイドも「聞いたことがない」って言うんだよemoji
訪問する予定だったけど、こんな具合で詳細が分からずあきらめた場所が多い…emoji

で、南部を回ったときに出会った沖縄出身のガイドさんにそのことを話したら、
メジャー観光スポットにいるガイドの多くが、県外からの移住者なんだって。
沖縄の風土や文化にあこがれて移住後2、3年で観光ガイド業をはじめるケースが多いらしい。
沖縄出身者に出会えたらラッキー、ぐらいの確率だそうだ。それを聞いて納得した。

今回訪れた戦跡のうち、個人的にとくに印象に残った場所を以下に2つ紹介。


1. 白梅の塔

近くのひめゆり平和祈念資料館には大勢の観光客が押し寄せていたけれど
この白梅の塔には一人もいない。それでも毎年、沖縄の慰霊の日である6月23日には
遺族の方々が大勢訪れてここも少しにぎやかさをみせるということだemojiemoji

実はこの塔のすぐ脇に、彼女らの自決壕がある。
洞窟だ。自由に入ることもできるけど、中は真っ暗だし
入るなら自己責任で。

高所恐怖症をこじらせている私。
洞窟の入口に立って下をのぞくと、両足が震えて何だか動けないemoji
急な階段を五段ほど降りて、懐中電灯でその先を照らしたところで
恐怖感がマックスに到達! 何やら凄い圧迫感を感じてしまい
進入はあきらめて、待たせていたタクシーに駆け戻ったemojiemoji

タクシーの運転手さんはかなりご年配の方なんだけど、壕の存在は知らなかったって。
一緒に言ってあげましょうと言ってくださるので、お言葉に甘えることにしたemoji
ほんとに助かった! 2人で壕へ戻り、とりあえず階段の一番下までは降りる事ができた。

「あ…。大きな箱が置いてありますね。」

の声で暗闇を照らすと、いつごろ置かれたものかは分からないけど
少し奥まったところに、ガラスケースに入った日本人形が二体供えてある。
ここで亡くなったのは若いお嬢さん達だったから…。

洞窟の奥へと続く通路は足場も悪く、落盤やハブの危険もあって進むのは断念。
それになんだか、土足で踏み荒らしているような気がしたよ…。
私なんかが入ってきてはいけない場所、という雰囲気を感じた。

まぶしい沖縄の日差しの中に突然ぽっかりと口をあけている深い暗闇。
当時17、8歳の少女たちがこんなところに居たとは信じられない思いがする。
彼女たちは二度とこの日差しを見ることはなかった。

ところで学徒動員というとひめゆり学徒隊ばかりがクローズアップされるけど
実際は他にも、この白梅学徒隊をはじめ数多くの学校から大勢の男女学生が動員されており、
そのほとんどは行方が知れない状態で、どこでいつ、何名が、誰が、どのように
亡くなったのかは今もまったく分かっていない。

ひめゆりの方々はエリート校出身、戦地では常に本部付きで、
もしもの事態になっても最後まで足跡が分かるため
比較的優遇された存在だとのこと(優遇という言い方はよくないと思うけど)。

そうしてひめゆり学徒隊から数名が生還をはたし、体験を証言されたことで
沖縄で戦時中にいったい何があったのかが世間に知られることとなった。
さもなければ、沖縄戦の実態は今でもずっと闇の中だったろう。


2. 糸数市アブチラガマ

ここは、戦時中に日本軍や一般住民が過ごした自然洞窟。
内部はかなり広い。全長270mある。

右の写真は入口。ここから先は突然急な縦穴となり
一気に奈落の地下へと落ち込んでいく。

見学には事前予約が必要で、ガイドさんを確保し、
貸ヘルメットをつけて入壕することになるemoji

ここでも懐中電灯は必須。中はほぼ当時のままになっており、
明かりなど何もないし、歩く場所もかなり厳しい状態なので丈夫な靴が必要。

沖縄出身のガイドさんとじっくり話をしながら1時間かけて見学した。
かまど、井戸、傷病兵がひしめいていた場所、遺体が日々積み重ねられていった場所、
スパイ容疑をかけられた住民が落とされた底知れぬ縦穴、
ここには書けないような話もたくさん聞いた。
沖縄戦の実態を知りたい方には、ぜひ一度訪れて欲しい場所。

沖縄各地に点在する洞窟を「壕」や「ガマ」と呼ぶけど、沖縄方言では
「壕」は人間がつるはし等をもちいて人口的に作ったもの、
「ガマ」は自然にできた洞窟、のことだそうな。
たとえば豊見城市の旧海軍司令部壕は人の手で掘ったものだからガマとは呼ばないんだってさ。


そういえば、訪れる先で、黒い蝶をよく見かけたんだけど、
そこで最期を迎えた魂たちの仮の姿のように感じられた。
咲いている花や雑草も…かつてこの土の上に倒れた誰かの
血を浴び肉を吸いこの世に生まれてきて、今日の風にゆられている。


<おまけ>

沖縄戦で生き残った方々の証言動画を見ていると、
「海岸まで逃げて、アダンの茂みに身を隠した」
という発言が多くあるので、アダンは一体どんな植物だろうと思い、
タクシーの運転手に聞いたり、自分で検索してみた感じだと
この写真にたまたま写していた樹がそれっぽい。
アダンは海の近くに自生しているとのこと。


「生かされた」という証言をよく耳にする。
戦地で命を失った方々よりむしろ、生き残った方々の方が本当は苦しく辛いよね…。
そういう方々に「助かってよかったですね」と安易にいえるものではないと思う。

終戦の日の玉音放送が沖縄では流れなかった、とガイドさんは言う。
放送できるような施設などはとっくにすべて破壊されていたうえ
ビラ等は、すべて米軍のワナだと思い誰も信じなかった。
したがって、本土が終戦を迎えた後も沖縄ではずっと戦いが継続していたそうだ。




(上の写真:那覇の国際通りすぐ脇の公園にいまも残る銃痕)

戦跡といっても、基本的には放ったらかし状態になっているものの方が多い。
付近に案内板もないし、調査もロクにされないまま日々崩れ、誰も知らないうちに消えていく。
数があまりに多すぎるという理由もあると思う。そこらじゅうが戦場だったのだから。

毎年、都会のど真ん中で遺骨収集作業が行われており、いまだに大量に見つかる。
その作業のほとんどはボランティアの呼びかけによるもの。
戦争を起こした張本人、政府は片付けすらしないのか…。

戦争当時も現在もかわらぬ、中央政府と現地のズレ。
いまでも政治家の不用意な発言がちょくちょく飛び出す。
沖縄の怒りが中央に届く日はいつなんだろう。
 
 
 
 
 
 
 
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