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サックス 敦

*今日のつぶやき*(1/18) ブログもすっかり放置気味になってしまったなぁ 敦

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母退院の日!

ようやく今日、この日がやって来た。やれやれ、少し安心した~。皆さん、ご心配おかけしました。今回、周囲の人の存在のありがたみが実に身にしみたァ。身内はもちろんのこと、病院関係者、同じ入院患者やその家族、ワタシの友達、そして現場で助けてくれた見ず知らずの人たち。ほんとにね~、ワタシももうちょっと人間として見習わないと。もし逆の立場でワタシが他人のために彼らのように動けたかと言ったら自信ない。まだ人間になれてないって感じ。子供が大人に成長するのとはまた別の次元で、年齢には関係なく人間未満のヒト科生物が人間に成長するという段階もこの世には存在するような気がする。私はいつ人間になれるのやら。

高校生になった頃、うすうす感じ始めていた。自分はひょっとして何かオカシイんじゃないかと。というのは、たとえば道端で誰かが苦しそうにしてるとき、ワタシは何も行動できない、体がまったく動かない。ところがワタシ自身が倒れていたりうずくまっていたりすると、必ず見ず知らずの人が助けてくれるんだなぁ。ホント何度も何度も助けてもらいました。なのに何で自分は同じことを人に対してできないんだろうという悩み。最近はそういう場面に遭遇していないけど、イザというとき動ける人間になっているのだろうか。

職場や人混みや飲食店でイライラする対象は人間だけど、自分を救ってくれるのも人間、場合により悪魔や天使に見えるから、その一面を見たからといって全体は判断できぬし、目の前をメールしながらトロトロ歩いてるヤツがもしかして私の命を救ってくれることになるかもしれん。分かっていてもムカつくときはムカつく…いいや、みんなペンギン、可愛いペンギンと思ってみよう。私も心のひろ~い人間に、な、なりたい…まだムリ、か。

昨日は品川で素晴らしいプレイヤー達と共演。自分の演奏が1日で劇的に改善するワケはないが、少なくとも同じ土俵に上がらせてもらうことで学ぶものが沢山。それは頭の回転の速さだったり、マジメさ、気楽さ、責任感、包容力、でも一番は自信みたいなもの、かな。文字通り、自分を信じるということ。相応の努力をしてきた人だけが、まとうことの出来るチカラ。
また、この場を提供してくださったポンポコさんにも大感謝。いつもお世話になってま~す!あと、昨日すごく印象に残ったのはお客さんの顔。ワタシの正面ぐらいにいた方々3-4人かな、なんかスッゴク暖かい笑顔だったんだなぁ。一瞬、知り合いかと錯覚した。娘をみるようなハラハラした気持ちで応援してくださっていたのかも、心配させてごめんなさい(^^;)。ナニはともあれ人間に再カンドーの週末、でゴザイマシタ。
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デビルマン好きですが、何か?

今夜はヘリコプターがうるさい。20時過ぎに一機、21時過ぎにまた一機、なんと22時11分にもう一機。ヒジョ~に響く。横田基地へ帰っていく奴か、それとも事件か?そして、23時16分にとどめの一機。やっぱり横田の方へ飛んでいったわい。何時だと思ってんだバカヤロー。

昨日のライブ、会場に着いたら靴に穴があいていた。気づいた方いらっしゃいましたか?誠にお恥ずかしい限り。

ここらでデビルマンねたをひとつ。
何がイイって、ずばり漫画版原作のストーリー及び価値観。正直者が頑張っている。その結末が悲しいものでも、やりとげたぞっていう感動が残る。原作を読んでから私の人生ますます不器用に(^^;)
一方、TVアニメはストーリーが違うので別物ですが好き。敵にすら、100%憎むことができない愛嬌がある。アルフォンヌ先生などキャラも声優もアクが強くて面白かった(^^;)
デビルマンの魅力について語っているサイトで、ある方が「そのどれもが叶わぬ愛であるところ」、と書いていた。すごく納得です。そういえるその方も素晴らしいなぁと思った。

ポータブル・ドラム発見

すごい楽器だなーと思ったのがパンデイロ。タンバリンの大きさなのに、まるでドラムセットのような演奏ができる。パーカッションというよりドラムだ。こいつぁ~さすがに、私には使いこなせないでしょう。

一方、お遊び気分のワタシにぴったりなのが、『はにわ流 駄楽器講座』という教則DVD。勝手な第一印象ですが、パーカスの人ってオモロイ人が多い!? 「本当はこんな風に使っちゃイケナイんですケドね」「コレ素人さんは真似しないで下さい、危険ですから」って。教則を見てる人はフツーに素人さんだと思いますが…。たとえ打楽器自体に興味が無い人でもいろんな意味で楽しめます\(^0^)/。何度見ても笑える、買って損はないカモ。DVDの中で、仙波氏が昔のおもちゃのウシ?(名前は不明。逆さにするとモォォォと鳴き声がするやつ)を両手に2個持ってシェイカーのように振るのですが、モォ~必見です。お腹の皮がよじれます。でコレ、私も欲しいんですけど正式名称の分かる方、教えてください(笑)今でも売っているんでしょうかねー。

話は激しく変わり…人混みってイライラしますよね。そんな時は、アイツもコイツもペンギンだと思いましょう!信号待ち中の両岸はペンギンでいっぱい、その間を走る車や自転車は鯨やサメなどのデカイ魚ですからぶつからないよう注意。ペンギンは不器用だから、たとえぶつかってきても怒らないで、コチラから先によけてあげよう。こう想像したとたん、ものの一秒で気が楽になってしまいました。騙されたと思ってぜひ一度お試しください。

「3月4日12:07 飛ぶ」

予定表に自分でそうメモしているのですが、どういう意味なのか分かりません(^^;)
今日の昼過ぎ、飛ぶはずだったようです。
何かすべきだったことは確かなのですが、この内容ではさすがに実行できなかった…

シェイカーとタンバリンが合体した楽器!さて使えるかなー?
パーカスはとっても楽しいけど実に難しい。

ビッグバンドでswingしていたのは…

このオムレツ専門店では、始終ビッグバンドが流れていました。ずっと聴いているとインテリアまで何だかアンティークっぽく見えてきて、戦後間もない時代へタイムスリップしたような感覚に。

rakeru.jpgここから先はまぁ頭のオカシナ奴の独り言と思って読んで下さいよ。聴きながらこの鏡の辺りを見ていたらですね、この電灯が音楽に合わせて踊りだすんですよ。アハハ。私が独りで退屈してると思って遊んでくれたのかな、すごく楽しそうに踊っていました。いやきっと、すきま風で動いてるんでしょうけどね。他には私の机の電灯、そして客の居ない席の電灯だけわずかに動いていて、残りは微動だにしていない(^^;)。旋律が管楽器やピアノに移るたびに、右に左に、正確に反応するんです、いや踊るんです。この写真の電灯だけは、ひときわノリノリのステップ!わたし疲れてるのかな(笑)。とにかく勝手に想像して楽しく過ごしてきました。ひょっとすると、まだ踊っているかもしれません。なお帰り際に、入口扉からのスキマ風は無いことを確認しました…。

スケート

今朝も見てしまったスケート、今回のはexhibitionというらしい。ってことはショーなんですね。無知で申し訳ないが競技の他にショーがあるのはアイススケートだけ?競技なしでショーだけでよい気もする。コレはスポーツなのかアートなのか、こういったものを採点することにどれほどの意味があるのかな。それにしても、日本人にも優雅に魅せられる人が居たんだなぁ、仮に金メダルが無かったとしても、要するに他との比較が行われない存在だったとしても彼女は十分美しい、見たい。ということはart?身体も演技も大きく、氷上を漂うだけでも迫力あるし、動きの残像・軌跡がみえてまるで音が聴こえてくるよう。全音符白玉系メインの中にも強弱あり、休符あり、三連符やトリルあり、まぁ~とにかく素晴らしいですが、こういった情景って、楽器演奏の際に頭に描かれる映像と必ずしも無縁ではないなー。まるで、見えないものを形にして目撃させてもらったような面白さを感じました。一方、男子は生バイオリンとの競演、こちらは超豪華版ストリート演奏みたい(^o^;)でワクワクしました。個人的には、これが英米ではなく東欧的コンビネーションである点により一層の美しさを感じました。日本で言うところのわびさびに通づる感覚かな。

初めてのデコポン

dekopon.jpg親戚のレイコばちゃんがお見舞いに持ってきてくれたデコポン。美味しい。

親戚にもう一人レイコ(羚子)という叔母がいます。母の妹で、若い頃は女優で映画やCMに出ていました。幼稚園の頃に会った時の印象は、彼女が長い茶色の髪をかきあげる仕草。ほんとほんと。なんでこの人に似なかったんだ?あと、生活感がなくて頼りないなという印象。ほんとほんと。これはヤヤ似たかな。生意気な幼稚園児ですね。幼いワタシは親戚のオバチャンらを呼ぶときでも彼女のことだけはレイコ「お姉ちゃん」と呼んでいました。子供は正直だ。つい最近になって、伯父のライブ会場でよく会うようになりました。良くも悪くも昔の印象そのまま(^^;)。世間的にはもう高齢者に属すると思われますが、いまだにワタシはレイコお姉ちゃんと呼んでおります。ちなみに若い頃の写真が伯父のHPのIsao’s History第9弾のページで見られます。そして先日お亡くなりになった本田竹広さんの若かりし姿も…。ワタシは一人っ子なので、兄弟姉妹がいる人ってうらやましいなぁ。

好みが変わる、成長する

蜂蜜漬けの梅。昔はなめる事すらできなかった梅が、好物になるとは想像すらしませんでした。好みは変化しますね。増えていくと言った方が正解かな。ならば、いろんな味を知っておく方が人生豊かに過ごせそう。そして自分の一番好きなモノは自分で作るのが手っ取り早い。料理やデザイン他、モノ作りの発端はきっと皆そんな感じだろう。葛藤するうち、自分の好みもまた変化してゆくのでしょう。

母の骨折手術から3日、基本的にはまだ寝たきりですが、少しずつ車椅子にも座れるようになり喜んでいる様子を見ていて、逆にワタシの方が力をもらうんですよねー。寝返りを打つ、好きなモノを食べる、電話する、買物する、そんなことができるなんて幸せだ、嬉しいなぁ。自由ってこんなに危ういモノだったんだ、失うのは実にたやすい。

初めての救急車

昨晩は、久し振りの師匠のライブを母と一緒に楽しむ。となる予定が、なんと…。演奏開始の1時間前に母が骨折→救急車に乗ったが1時間近く搬送先が見つからず、参った…。救急隊の方は何軒も電話を掛けて下さるし、病院へ到着しても面倒みて下さるし、ホントに大変な仕事、ありがとうございました。それにひきかえ救急車で車酔いしたワタシは情けない(-o-;)
ところで救急車を待つ間ずっと母に付き添って下さった方々が何名かいたのだが、とくに1人の方がとても慣れた様子だったので、きくと仕事は看護婦さん、たまたま現場に通りがかったとのコト。皆さんお名前も言わず去っていかれたが、本当に感謝のしようもない。本当にありがとうございました。どこかでまたお会いできるといいです…。人間に生まれて良かった。私もヒトとしてもっと頑張らないと。

まだまだ発育中

師匠からお言葉を頂く。上を目指すには、私の場合、性格を変えるしかなさそうだ… \(-。-;)/ いや実際のところ、自分でも最近その必要性をうすうす感じてはいた。こうして人から指摘されると、無意識に目をそむけていた部分に気づかされる。なぜ今の自分なのか自分なりの言い訳が見えてくる。プレイを変えたいと切に望んでいるのは自分自身なのだから、言われたことをやってみよう。

大好きな唐詩を紹介します。 『鸛鵲樓に登る』 by 王之渙
--登鸛鵲樓--
白日依山盡,   夕陽は山の後ろへと沈んでゆく
黃河入海流。   黄河は海へと入りなおその流れは続いている
欲窮千里目,   もっと遠くまで見極めたいと思うから
更上一層樓。   更にもう一階上へと登るんだ (それは骨が折れることだけれど)
多田老師說 “雖然動著身體吹未必就好,可是一般來說身體跟旋律和強弱會連動,吹樂器是體力勞動,出演一場後累得要命。妳絕對缺乏那樣精神準備。還有,人性應該反映在演奏上。妳臨演奏的態度缺乏銳氣、聲音沒有音壓太粗魯、對發音的意識太淺或姑息、表現很含糊。妳很可能是很少感動的人,對嗎?”
我馬上否定 “完全不對,好相反了。”
老師說 “如果那樣,怎麼妳全部在演奏裡不表現呢?”
我申辨 “我覺得害羞,恐怕如果我猛烈地表達自己就別人嚇得退。”
老師說 “如果妳恐怕表達自己就為什麼演奏在人面前呢。不用恐怕,到過度做吧,如果妳真的做過度我告訴妳。爵士樂是感情的流露,妳先抑制自己什麼也不表達就沒有意義,被沒自己的爵士樂誰能感動?至少妳現在的演奏沒魅力,真伶人焦急。自我意識改革吧,妳也討厭現在的妳,要更上一層樓吧。那先改變表面,平時說話也用心說清楚,從腹底發聲,一切通用,一天妳演奏也絕對改變。”

伯父のライブを鑑賞

昨晩は伯父のライブ。ちょっと遅れて行ってみると音楽仲間のゆきおんなさん夫妻が来ていました、謝謝!ご夫妻とは久々の再会で、実は私のソプラノはそもそも彼女の旦那M氏が所有していたもの。それが私の元へ落ち着いていることはM氏本人に言えないままでしたので、今回ようやく伝えられて双方ともに安心できたようです。相当気に入っておられた楽器とのこと、私ももっと吹いて育ててあげないといけないなぁ。
我舅為我很擔心,他說,“如果妳很固執己見的話,誰能教妳啊,對那樣不接受勸告的人我也不想指導的,懂嗎?首先妳要好好聽妳老師的話、老實地照他教的做,最後妳想怎辦就怎辦吧。” 謝謝勳舅,懂好了,以後我留心!

名古屋でジャズ

nagoya.jpgtanuki.jpg初めて見た名古屋は淋しい印象。栄~テレビ塔界隈をブラブラしましたが、道がめちゃくちゃ広いのに人影まばら。繁華街から外れているのかな。
右の写真はジャズ喫茶Yuri。扉に猫がピッタリと寄り添い丸まっていて、出入りする客に気を遣わせていました(笑)。中はとっても落ち着く雰囲気でピラフ大盛り、音楽はガンガン鳴っており、うんっ相当気に入った!あの部屋に住みたい感じ、また機会があれば訪れたいな。しばらく聴いていたら、帰り際になってイイ感じぃ~のsaxが流れてきたので、店の人に尋ねたら、私がsaxを始めた頃に聴きまくっていたプレイヤーでした。どうりでイイ感じぃ~なわけだ。楽器を始めた頃は好みのプレイヤーの音というのが私の中で確固たるものとして存在し、それ以外の有名プレイヤーの演奏は音色が好きじゃないというだけで聴きませんでしたが、徐々に、nagoyajazz.jpg好みじゃない音色に対してもそれなりの心地良さは感じるようになり、より幅広く聴くようになりました。ちゃんとした音ならなんでもいいぐらいな感じ。大人になったなぁなんて考えてた矢先だったので、店で反応した音が自分の原点のプレイヤーのものだったことに笑う。結局、好きなものは好きなんだなぁ。ところで、その音に今はちっとでも近づけているんだろうか、うぬぬぅ…。原点に戻ってがんばろう。

最後にjazz inn Lovelyへ。実は今回は、森剣治trioを聴きにはるばる東京から参りました!Lovelyの長尾さん、どうもお世話になりました~!左の写真は店のパンフ。今月号の表紙は、わが伯父であります。

霊感ありますか?

昨日は久々にテレビ番組オーラの泉をみた。自分が見えているものや感じているものを、それが見えない人に伝えるって難しい。まず現象自体を信じてもらえるか、それから自分を信頼してもらえるかどうか。相手にはどうしても見ることができないモノについて伝えるのであればなおさら、信頼してもらえるかもらえないかの分かれ目って何だろう。また、信頼を得たとしても、見えたモノをいかに説明するか。話し方によっては相手に不要な心的苦痛を与えてしまいかねないわけで、事実をそのまま伝えりゃいいという話ではなくなってくる。自分の言葉の責任の重さに耐えられるか。
見えないモノを伝えるという点では音楽も同じだけど、存在自体は普通の人間になら認識してもらえる点、超能力や霊感とは違う。動物はどうだかわからないけど…。楽譜や歌詞カードとしてある程度は視覚化もできるが、完全に同一のものを視覚で表現するのは無理じゃないかな。しかも、見えないものの中に何かしらメッセージやら映像やら感情やらを込めて伝えようとする(演奏する)わけで、なんか不思議なことをやってる気もしてくる。手にとって見て触れて香りを確かめてなんてできない現象はこの世にたくさん存在するわけで、最終的には、見えないものに対しどれだけ自分でイメージを持てるか、が大事なように思うなぁ。

話は戻るけど霊感ある人ってそんなこんなでストレスたまるんじゃないかなぁ、大変だろうなぁ。かくいう私は、念力でも持ってそうに言われるが、どうやら霊感などまったくないようだ。ところで動物に音楽って伝わるのかな?機会があったら試してみたい

自分を変えろ

師匠に言われた通りやる、こんな単純なことができない。結局は自分との闘いで、師匠は越えるべき壁の前までいつも連れて行ってくれる存在。

『為せば成る 為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり』 by上杉鷹山
老師說,在舞臺上我應該改變自己。現在的演奏表示著本來的我,跟無神的音色缺乏動人的力量,太無聊。以即使演奏中死也好的決意吹,儘渾身力氣吹啊!我要吸氣得更多、渾身地吸氣、對每個聲音無微不至地照顧、拼命精神的舉止、留心無論何時也追求真帥的演奏。