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サックス 敦

*今日のつぶやき*(1/18) ブログもすっかり放置気味になってしまったなぁ 敦

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♪五色のた~んざく

tanabata.jpg近所の高齢者施設へ七夕のお祝い演奏に行ってきた。演奏をしに行くというより、お手伝いをしに行くという意識で毎回お邪魔している。私にできることといったら演奏ぐらいしかないのだ。毎度、貴重な機会をいただきコチラの方が感謝しっぱなし。今日の「お勤め」は、入所者の方々からなるコーラス隊をキーボードで伴奏するのと、サックス独奏である。今日のコーラス隊はおそろいの衣装をきてちょっとお洒落をしている。皆さんの表情がいつにも増して明るく嬉しそうだ。七夕ということで、歌もサックスも夏や星に関するものを集めた。季節に関する日本の歌を探したらまず困ることはない。ナント風流な文化をもつ国なんだ、ココは。日本人に生まれて良かったなぁと思える理由の1つ。
tanzaku.jpgさて今日は養護の入所者、特別養護の入所者、そしてデイサービスにいらっしゃる皆さんのところの計3会場を回ったが、皆さんがジッと聴いて下さっている表情(とか一緒に口ずさんでくれている様子)を一人ひとり拝見しながら、こちらの方がまるっきり癒されてしまった。むむ~何のパワーというのかね、これは。だって今朝なんか「最近、思い通りにいかない事が多いし怒りの日記でも書こうかな」などと予定していたのが、帰ってきたら何をイラついていたのかすら忘れてしまった。心の曇りが晴れ、「素」になったという感じだ。天の川見えたゾって感じだ。「気分」なんてモノは目に見えないし実態すら分からないので扱いに困ったり軽視しがちだが決してあなどれない。日々の思考もあなどれない。嫌なことを考え続けていると自分でも嫌な人間になる。どうせ限られた時間をこの世で過ごすなら、気持ちのいい時間を生きた方がイイに決まっている。こちらの施設にお邪魔するようになってから、私はずいぶん「健康」になった。施設に飾られていた短冊の言葉が印象的だった。

     『 花も木も人も和みて安らげく  日毎過さん 短き命 』

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風邪っぴきはつらいよ

かれこれ一週間、咳がとまらないので沖田総司になった気分も楽しみつつ(判る人だけで良い…(Θ_Θ))、若干ハスキーになってしまった声についてふと思う。この方が普段より良くないか?どーだ?健康時の大きさやパンチはないが丸みと太さが出た。ついでにコンプでもかけたような均等な音量のおかげで、話しやすいし聞きやすい。ような気がする。この比較は、楽器の音色に関して最近感じ始めていることと見事に共通するんだよなぁ。結論はまだ出ないけど、よく通る声・音色が好きだったこれまでの私(モロ好み~)と、違う快感に目覚めつつある今日の私(好みじゃないハズだが何故か心地良い~)。人間関係、特に男女間の感情にも似ている?まぁアッシにゃぁ、そこら辺のこたぁサーッパリ分かんねーなぁ~(^^;)

スパイ募集記事

よく解らん世の中になってきた。合理的というか、なりふり構わぬというのか…。スパイや忍者って、その存在自体を否定するのがその組織を牛耳る者の常識だったと思うのだが、最近イギリスではスパイ機関が公式HPを開設して堂々と求人募集を始めたそうな。要するに、いわゆる007ジェームズボンドの雇い主が、ですな。
10代の頃はこの手の小説をたくさん読んでいたので、MI6(英国対外諜報機関。ちなみに国内担当はMI5)等はスッゴイ憧れの世界だったし、学生時代に剣道をやったのも忍者に憧れた事がきっかけだ(^^;)けど、実際に「じゃ、やってみない?」と言われてもねぇ。まぁ私には応募資格すら今のところないけど(と一応チェックはしてみる)。改めて、どういう人が応募するのか考えてみると、少なくとも3種いると思うんだけど、(1) 愛国心が強い右系、(2) 小説のスパイ世界を夢見る系、(3) 自分のキャリアアップだけ考えている系。他にも、実際にあったようだがアルカイダ系が潜り込もうとしてたらしいし、こんなにオープンな求人にしたことで果たしてメリットになるのか?

もう少し詳しく読んでみた。求人内容は事務職、技術職含めいくつかあるが、その見返りに提供されるのは、現金のほか以下のものが挙げられている。あまりにフツーだ。あぁ、小説で夢みていたイメージが…。それとも、こうして公募したように見せかけて集まった人材を他の目的に使うつもりか?思わず深読みしたくなってしまうぅぅ~させてくれぇ…。
確定給付型又は確定拠出型の年金制度
保険医療制度
手厚い産休手当
住居手当
有給休暇25日+祝祭日10.5日
定期券購入代金を無利子で融資
職員専用食堂とジムの利用
自転車通勤制度
育児サービス券

「暑い」ステージでした

昨日はGaijinJunkの二度目のライブ。なんだかフロア全体、ほぼ満席状態で観ていただきましたよ。スゴイ嬉しいなぁ。みんな友達多いなぁ。ステージ見ても客席見ても日本に居ることを忘れそうだった。ただし自分の演奏は正直、ヤバかった…。アレやろ、コレやろというもくろみは見事にカスる。やるべきことはまだまだ多い。一方、メンバー編成はまた少し動きがありそうな雲行き。だからこそ余計に、毎回ベストの自分を出さないと。このステージが一緒に音を出す最後のチャンスになるかもしれない、今日笑顔で交わした握手がそれで最後になるかもしれない、と覚悟して。とさすがに毎回そこまではセンチになってらんないけど(そんなこと考えてたら毎回泣く (ToT)…)、でも心の片隅にはいつもそんな気持ちを置いておこう。

そうそう、この日の対バンも外国人のバンドで、彼らはギタートリオなのだが、じつは私は昔、そのベースさんとドラムさんと一緒にちょっとバンドをやってたことがあった。嬉しい偶然。1年半振りの再会になるのかなぁ。ベースさんが昨日はトランペットも吹いてたので驚いたが、実はtpのキャリアは32年もあるらしい。当時のバンドのリーダーが必死にtpを探していた時は、ベースに専念したくてずっと隠していたらしい…(^^;)

Woods

今日は夏至なんだなぁ。 Phil Woods のライブに行ってきた。ヤ○ハのイベント色が濃く、チラシにもプレイヤー御用達楽器の宣伝がデカデカ。お、そして客席にはかつての恩師であるO先生が!お元気そうで何よりです。早速挨拶すると相変わらずの朗らかな様子で迎えて下さった。あ、Waveの日本語歌詞きくの忘れた(^^;)。かなり若めの客層で会場が埋め尽くされていたのが印象的。今回このタイミングで聴くことができて本当に良かった。私の中にある迷いや疑問の数々に明確な答えをくれた気がする。
一個曲子開始的時候他一個人開始,雖然只有sax,可是一點也不空虛,聽得非常愉快、因為他的表現很有"歌"。聽他的"歌"以前我在心裡面很不安,如果沒有樂隊只有我的sax可能聽來很空虛,不過那個憂慮煙消雲散了!不用說,sax裡要有"歌"。吹sax跟"唱歌"一樣。跟ff吹序章之後,跟樂隊一起突入主題的剎那突然地吹pp的subtone,這種差距讓觀眾的心一口氣奪取,我們不知不覺地追音色的行蹤。重演時兩個alto了,那時音色合"唱法"的差異很明顯,一個演奏家大部分一直用ff吹了,有力量但有點單調,另一個就是Phil把ff合pp都用著吹,用強弱的大浪微波讓我的心搖動。對我哪個更舒適呢,很明顯了!Phil,你溫柔慈愛的音色最好。以前我的口味對現在的變了。還有Altissimo Bb的運指法也確認了,食指在D上(大音階的第二音),省略中指。開始Just the way you are,只是他自己錄音了的三個即興地方一直演奏了,完全再現。對日本觀眾的禮物吧,看起來他有點無聊地演奏!? 其他低音吉他的増原巌很好。

パワーショベル

なぜか分からないが、パワーショベルがいとおしい。特に夕暮れ、周りにはもう誰もいなくなり、重たいシャベルを地面につけて、一人じっとウツむきたたずんでいる姿がたまらない。ヘンかな?中野にフィギュア探しにいこかな?やっぱヘンかな。
根據一個試驗司機專家加藤說的話。極限時倒要保持從容的心情。專家在有的地方常有它,如果常時在最大限度做的話,不能評價性能、接待客人等等(依職業),做事的同時要想其他的事情。從容不是自然地有的,而是要抓取的。專家就是不說“不可能”,卻勉強想辦法變不可能為可能。

ひばり on JAZZ!

美空ひばりが原信夫シャープス・アンド・フラッツをバックに吹き込んだジャズを、いま聴いてるところ。やっぱりスゴイ人。下手なジャズ歌手より、美空ひばりの歌うジャズの方が私はよっぽど好き。スキャットも決まってる。だんだんとEllaに聴こえてくる(^^;)。ところで、どーしてこんなに発音がいいんでしょう?

プロとアマの差。

昨日はGaijinJunkの練習。新しいパーカッションとボーカルが来た。このボーカル…素晴らしい。衝撃的にぶらぼー。高級チョコレートの国からコンニチワ。ボーカルさんって、歌詞もメロも即興で歌うからスッゲェなーと常々思っていたが、今回は最高。どうやらプロらしい。何しろ、ひと声出すだけで部屋中が声に支配される。決して大きい声を出しているわけではなく、リキんでもいないのに…。これが本物のスゴさなのか。
ちなみにGaijinJunkはまだ形成中のバンドで、しばらくはライブの度に編成が変わるかも。前回はサックスがフロントのインストファンクになったけど、今回はボーカルが客席をノックアウトするでしょう。Take me higher~なんて歌われりゃ「よしきた、飛ばしたる。」と頑張っちゃうが、そこは自分の力不足。墜落させたか m(_ _)m

音律とは。

音律とは、『音楽に使われるすべての音の音高関係を、一定の原理に従って厳密に決定したもの。時代や民族によって様々な方法がある。ヨーロッパ音楽で用いられる主なものには、ピタゴラス音律、純正律、中全音律、平均律などがある。』 - 大辞林
やばい。ハマッてしまった。前々回、音楽と数学の関連について触れたため、いまさらながら調律の仕方、すなわち音律のことを考えずにいられなくなった。つまり各音律の聴感上の差である。同じ曲が音律でどう変わるか。今まで全く気にとめていなかった。実はそれぞれ一長一短あり、私のように平均律(ピアノのピッチ)に慣れて絶対音感を持った人間には他のピッチが新鮮だが、平均律のほうが気持ちイイとは限らない。また、サックスを始めた時点で自分でも気づかぬうちに他の音律をも利用していることに気づき、大カルチャーショックである。この世界を広げるとまたまた音に対する新たなイメージ効果を引き出せるかも。意識上で判別できるほどの差にはならぬとしても、音に対する抽象的なイメージにはかなり影響を及ぼす違いになると思われる(単音とスケールでは、同音でも感じる色が変わるとか)。平均律しか知らないなんてもったいない。今の時点ではまだ音律システムを理解してないので、自分なりの音楽への応用アイデアなどをまとめるべく、しばし勉強したい。

こないだ、GaijinJunkのライブの時、ベーシストが全ての弦をキーボードに発音させて調弦してるのを見て思ったんだけど、ギターの調弦時、もしチューナーで1弦づつ個別に調弦したらそれは平均律だよね。でも通常は5度音程で耳であわせると思うし、これはピタゴラス音律と言えるわけだよね。バイオリンもピタゴラス音律と。たまにギターとキーボードのチューニングのずれが気になる事があるんだけど(時たま不協和を感じる)、ピタゴラスのギターと平均律のキーボードだったとすれば避けられないことなのかもしれない、ということが1つ見えてしまった。そして、キーによってイメージが違うのは、単なる妄想ではなく実はまさしく数学的に科学的に違いがあったのだ、ということも音律を学んでいけば見えてしまうのだ。さぁ、あなたも私と一緒に底なし沼へハマってみませんか。というわけで、ここから先は各ピッチに対する説明(というか個人的な勉強メモ)がひたすら続く(適宜、加筆修正中)ので、この話題に興味のある方のみドゾ。

ありんこパワー

すごくないか、コレ…。見つけた瞬間、どういうわけかまず最初に恐怖を感じましたよ。普通に、さっきブラブラ歩いていた歩道の上ですよ。自転車が何台もとまってる横ですよ。よく見たら他にもそこいら一帯、何箇所も穴ぼこが発生。盛り上がっているのは砂じゃなくてコンクリ?むむむ…
もしかしたら、あなたの家の前でも…

吾輩は思索の途中である。出口はまだ無い。

油絵は色を重ねることによって下に塗られた色を塗りつぶせるけど、音楽は下の色(音)をかき消すことなく重なり交わっていくという点からいえば透き通った色であり、油彩よりは水彩画に近いのかな?あえて油絵的な演奏をする場合もあるだろうけど。ちなみに私は「絵画」より「動画」をイメージします。

また、音程は西洋音階では12音だけど、12色だけということではなく1/2音程、1/4音程と無限にあり、音高、音量、音質、音価などの要素によっても色の濃淡にバリエーションが。和音で響かせれば新色が発生するかも。先に頭の中で絵画なり映像なりを描いてから演奏したら、今までと違うアプローチができるかな?あるいは違う曲なのに同じ映像をイメージさせるようなものも探していったら面白そう。ただし、どんな美しい音も醜い音も、時間が経てば消えてしまう点が絵画とは決定的に違う。

オーケストラ指揮者のダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim)は、音を色で連想したり音価をコントロールすることによって、本来は物質的な存在を持たない「音」を物質化できる、と言っていて面白い。
数学者に言わせると、数字に色をイメージする人も多く、また音楽の曲の構成は非常に数学的であると。ある実験によれば音楽を聴く時と数式を解く時の脳の働く部位が同じで、幼少時に楽器を始めた子は脳の発達が早く、数学も得意であることが多い、という結果が出たと。数学を「抽象的パターンを表現するための的確な言葉を探す学問」と定義するなら、音楽はまずテーマがあって、そのテーマをスムーズに導き出す作業を一定の規則に従って論理的に行っていると。そして音楽とは時間の経過に伴い変化してゆくパターンの集合であると。

となると数字→色→音という連鎖でもって数字から音をイメージできなくもないだろう。数式をみたらメロディが浮かぶってこともありそう。電話番号を覚える時、その数列固有のメロディを連想、そんな人も多いのでは?
音を色や数字に置換えるのが音の具象化・物質化だとすると、逆に抽象化・精神化だってできないか?たとえば嬉しい音、怖い音にはじまり、胃が痛くなる音、頭痛や癌を癒す音なんかもあるかも…音楽の可能性は果てしない。

実際、画家の中には視覚が心理に及ぼす影響を研究して作品に反映する試みをしている人もいて、例えば私の好きなKandinskyはまさしくそう。いわゆる現代音楽の作曲はこういう理論先行の実験的な試みも含んでいたりする?でも特殊な目的のある人を除けば、理屈なしに本能と心で感じて楽しむのが音楽との一番の付き合い方だろうな…。

最近自分の好みが変わった。好みが変わるというのは成長の証で良いことだと思う。
今まで「無」と思っていたスペースにも何かの存在を感じられるようになった。

お客さんは私の大事な宝物! またまた感動したぁ~

今日は品川でE1ビッグバンドとしての演奏。大勢の出演者の中にまじって無難に1日が終わろうとしていたが、ラストの曲Spainが始まる前になって、司会のポンポコさんが「次はSpainですが、これはお客様からリクエストをいただきました」と切り出し内容を読みあげ始めた。エピソードは、とあるバンドの話だった。バンド名は言わなかったがそこにはまぎれもなくありんこのりんこの去年のステージのことが書かれてあった…。

…去年の夏、品川の野外ステージでありんこのりんこの演奏をした時のこと。最後の曲Spainの途中で突然のどしゃぶりとなり、機材が濡れないように走り回るスタッフ。みるみるうちにカラッポになる客席。でも何よりも私たちは、屋根の下に避難しつつも、まだ私たちを遠くから見守り続けているほんの一握りのお客さん達に感動したのだった…1人でも残って下さる方が居る限りは続けようと思い、結局最後まで演奏した。

あぁ、あのとき最後まで聴いて下さっていた方がコレを書いてくれたのか…!見ず知らずの方が、あの日のことをこうして覚えていてくれて、しかも元気がでたと…と思ったらもう、じーん…。とひたる間もなく今日のE1ビッグバンドでのSpainが始まり、あふれてくる涙と鼻水を途中で何度も服になすりつける。周りの共演者は、この短い時間で私の感情が一変していたことは全く知らない。私が突然ここで泣きだしたら、みんなには意味が分からない。

本番中はかろうじて持ちこたえ無事終了したけど、片づけを始めたらもうダメ。あっという間に号泣モードに突入したので(ToT)共演者の方々への挨拶もせず控え室へ突進、そのまま出てこれず。しばらくしてからマスクで顔を覆い電車で家路についたが、電車が止まろうが涙は止まってくれん。とにかく嬉しくて、そしてありがたくて。音楽やっててホントに良かった。この世に生まれてきて良かった。忘れられない1日になりました。そういえば今日の終了後、全員起立して客席にお辞儀をしたときに、中央の席で最後まで私を暖かい笑顔で見守ってくださっていたお客さんがいた。違うかもしれないけど、もしや…

プチ金縛り?

昨晩、生まれて初めて金縛りらしきものを経験した。ライブ会場でリハをしている夢を見ていたら突然手の指先のマットレスがブルブルッと振動した。「来たか?」と(初めてのクセに)思った瞬間、体が動かなくなった。おぉー、すげー。耳元ではバリバリバリッ、と大きな音がしている。普段はオカルト的なものを信じないくせに、こういう時はなぜかとっさに「来るなー、出て行け~っ!」と凄いけんまくで怒鳴っていたりする。30秒ほどで解けた。
きっと風邪のせいか、手がしびれてたんだろうなぁ。バリバリいう音は筋肉がこわばる音かな。ただ、解けた後も寒気が走るし少々怖かったので、なぜか勝手に自己反省をはじめて、「もうやめてくれよ、携帯ゲームやめるからぁ」とわけの分からぬ誓いをする。その後は何もなく朝が来たが、携帯のゲームは即刻削除した(^^;)

オルフェとチャップリン

今日は映画を2本みた。1本目が『黒いオルフェ』。この映画はもう説明不要でしょう…、朝っぱらから泣けた~。子供の頃からずっと気になっていたのに、実際に観たのは初。何で今まで観なかったのか自分でも不思議だけど、今思うとこの歳になってしかもこのタイミングで観たからこそ、意味があったのかも。残酷なほど現実的で、でもどこか幻想のような物語。それを激しいサンバのリズムと、ボサノバの悲しげな響きで紡いでいる。観終わった後も余韻が残る…。ボサノバってボソボソした歌い方で地味だなぁと思ってたけど、こうして映画で聴くとそれが歌詞にはピッタリだったんだなぁ。力強く張り上げるような歌い方は似合わないな。
ちなみに、個人的にブラジルには昔からかすかな縁を感じているので、死ぬまでに一度は訪れるんじゃないかという予感がしている。

2本目は『モダン・タイムス』。そう、チャップリンの作品。子供の頃にTV放送で観ていたが、大人になってまともに観たのはこれが初めて。チャップリンとかMr. Beansとかドリフとか、こういう種の笑いってスキだなぁ。最近の漫才界主体のネタはウルサイだけでちっとも笑えない私デス。古いのかな。チャップリンの笑いは、おかしいだけじゃなくてなんか泣けるー。チャップリンの笑顔が慈悲に溢れているというか。『モダン・タイムス』のラストシーンで、悲しんでいるヒロインを元気づけようとチャップリンが「Smile...」と呼びかけ微笑む、その表情に泣けた~。そしてバックに流れる曲は「Smile」。作曲はチャップリン本人。

明日は、この2本の映画から1曲ずつ、演奏してきまーす。どちらも何度となく演奏してきた曲だけど、また新たなイメージが見えたカナ。それを演奏に表現する力のない自分が歯がゆいが(^^;)

「母の日」に唄う

今日は老人ホーム訪問第三弾。母の日なので「母」にちなんだ歌を合唱し、私はピアノで伴奏。今回は特別擁護の棟ということで、認知症の方々なども多くいらっしゃる。
サックスはまたまたオマケで披露。アカペラで吹くと自分の音がよーく聴こえる。恥ずかしーなんて今さら言ってる場合ぢゃないのだ。目を閉じて吹く癖があるが、ホームではひとりひとりの皆さんと目を合わせながら吹くよう心掛けている。皆さんの耳に痛い音になっていないか、心地よく響いていればいいが、と願いながら吹いた。万が一にでも私のこの音が届いてくれたらいい…。入所者の娘さんが書いた手紙が読み上げられると、まだ学生のように若いスタッフ達は車椅子の上で身体も表情もまったく動かないその「母」を見守りながら思わず涙ぐんでいた。ホーム全体が文字通り家族のように感じられた。