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サックス 敦

*今日のつぶやき*(1/18) ブログもすっかり放置気味になってしまったなぁ 敦

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内在の錯覚 ~seeing with mind's eye~

高校の頃、サルトルの『嘔吐』を読みかけて挫折した。でもいつかは読み終えたいと思い未だ手元にある。当時はカミュAlbert Camusの『異邦人"L'Étranger"』にも極端にハマった。あー、なんであんなに夢中になったんだろう、私の思春期っていったい…。ところでそのサルトルJean-Paul Sartreが提示した「内在の錯覚illusion d'immanance」という現象を最近知ったのでちょっとメモしとこう"L'Imaginaire"。サルトル君曰く、「パンテオン宮殿をイメージせよ。その屋根を支える柱の数を数えられるか?」つまり、しっかり覚えていると思っているものでも実際には細部まで覚えていないだろう、という話。これ聞いてハッとした。ついやってる。年中やってる。

内在の錯覚についてNicholas Cook (音楽学者) からも抜粋しとこう"Music, Imagination, and Culture"。「演奏家も生徒に教えるため自分が知っている曲を楽譜に書こうとして結局はその細部を知らぬことに気づく場合がある。曲を楽譜にしようとする時になって、音のつながり具合が判らなくなる。実際に弾くか書くかして試すと音楽的イメージが不完全であることに気づく。『何となく思い出せる気になっているが、正確で完全と思っていたものがまったく曖昧模糊としたものであることに気づくのには閉口する- by Kirkpatrick』」 (←誰だこれ(^^;)たぶんRalph Kirkpatrick。またCook君曰く、「作曲家が音楽を考えるやり方と、聴き手が音楽を経験するやり方には根本的な違いがある」。全く同感!
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違うから面白い。似ているから面白い。

asagao.jpg作曲家・演奏家が作曲や演奏中に頭に描いている情景なりメッセージなりを、聴き手が共有する必要はないと思う。聴き手は好き勝手に聴いて自分の好きなように楽しめばそれでいい。
専門的に音楽を知らぬ人達の批評の方が音楽専門家のそれよりたいていの場合直感的に鋭い』 - by Glenn Gould
他人と自分の感覚は当然異なるわけで、音楽だけじゃなく人間に対する評価にしても同じだし。他人に悪口を言われる人でも自分にとってはいい人なことはある話。
"對于音樂,不要用《理解》的詞。在音樂裡沒什麼被理解的東西。對我,音樂應該是被感覺的。" - by Arthur Rubinstein

とはいえ、個人によって当然バラバラではありながら、傾向といったものも存在するようだ。
音楽を聴いて自分以外のヒトが一体どんなイメージを浮かべるのかちょっと知りたくて、10代の頃こんな実験をしたことがある。Rainbowの『Anybody There』(インスト曲)はあの世とこの世の境目を浮遊している状態をイメージして作られたらしい(だったような)。同世代の約10名にこれを同時に聴かせ、その後イメージしたものを絵に描いてもらった。その結果、4名ほどが「長く細い道」「遠くの街へ向かっている」「夕暮れ」「こちら側と向こう側を行き来する数人の影」みたいな絵を描いた。残りは抽象的イメージや作曲者の意図とは異なる情景だったと記憶している。解釈なんてどうにでも後付けできるけど。被験者達も楽しんでくれた。

Beethovenの有名なピアノソナタ『月光』第一楽章は確かに湖の上を照らす月の光のイメージにピッタリ。
でも月光という通称は作曲者本人の意図ではなく、この曲を聴いた別人が彼の死後に名づけたものだと言われる。
Beethoven自身は、当時彼の生徒であり恋人だった少女Giuliettaに捧げ作曲したらしい。月光という名がつけられたと知ったらBeethovenはどう思うのかな。「ふ~んなるほど、面白いじゃん」って感じか。この曲が好きな人は、実は女のために作った曲だなんてことを知ろうが知らなかろうが、好きだろう。

銀塩って何だか分かります?

デジタルカメラに対して、フィルム式カメラのことを銀塩カメラ(silver-halide camera)と言うらしい、つい最近知った。以前はみなフィルム式だったから、わざわざ銀塩という名称を使うこともなかったんだね。それにしても難しい単語…ワープロの漢字変換も出ないぞぃ。自分のカメラ(銀塩式だ)が骨董品に思えてくる(^^;)いっそ、銀塩式撮影機と呼んでしまってはどうか。右は私の愛器Nikon FMと相棒135mmF2.8レンズ、そして常用フィルム達。といっても写真に熱中したのはもう20年も前の話…。見た目の通り銀塩一眼レフカメラで、オートフォーカス機能も一切ないフルマニュアル機。電池が無くても写真が撮れます!

今どきカメラといえばデジカメだけど、私は持ってない。このブログに載せている写真はすべて携帯のカメラで撮影。デジカメってどーよ、と思ってこの機会に初めてデジタル一眼レフをいろいろ調べたり店頭で実際に持ったりしたが、買うほどの魅力は持てなかったなぁ。デジタル一眼レフ愛用の方いますか?一緒に同じ被写体撮って比べっこしよ!

まるでジェットコースターのようなスリルでした

BlueNoteでJoe Zawinulを観てきた。Cannonballのバックでピアノ弾いてた人、ぐらいの認識しかなかったけど、目の前で見たらスゲかった。何といっても、バンド自体のテンションの高いこと高いこと。観ているコチラものっけから体が踊りだしてしまう。しかも友人のおかげで最前列の席に座ってしまい、ステージに自分の足が触れている。ベーシストの一部始終を目撃しましたよ。NちゃーんObrigada!個人的にはあのギターさんのテンションの高さを是非見習いたい。だってベースがソロやってた時にふとギタリストに目をやったら、ベーシストよりよっぽど顔にチカラ入ってるんだもん(^^;)。Apocalypse Nowみたいな濃ゆいお顔で気合を送ってたんだろう。ちなみに自分のソロのときは絶叫してた(笑)。その間、ザビヌルじーさんは暖かい顔でメンバーを見守っていた。何だか親戚のおじちゃんを思い出したよ、元気にしてるかな。ところでパーカスの人って、ホント遊び心満点だよねー。目立ちたがりやと言った方が早いか。

Glamorous Life!

6年振りにシーラEを観に行った。といっても、私の目当てはベースのお姉さんRhonda Smith。今回は女性ばかり4人のバンドC.O.E.Dでのライブ。Princeのベーシストだからやっぱりソレっぽいサウンドが続くが、中盤以降はオール女性らしく美しい歌声ハーモニーが印象に残る。ラストはお約束のあのヒット曲で元気ハツラツ(客が、というよりSheila Eが)。専属ボーカリストは居ないのだが、それにしてもプレイヤー全員うたウマすぎ。なんで?演奏しながら各自ソロで歌ったが、パンチがあって優しくて強くて控えめ。矛盾する要素が共存してるんだよな~。みんな声質も違って、どれも味があって、順位をつけろと言われたら無理だ。誰かと比べるのは無意味…その人らしさの出ているのが一番だな。

アンコールも無くあっさり終わった後は次のライブを聴くため店を出る。昔何度かジャムったことのあるギターPさんのライブ。会うのは2年振りぐらいになるのかなぁ。店に着いたときは既にステージが始まっていたが、歌っているのが彼だとはしばらく気づかなかった。ジャムった時はファンクだったが、今日はオリジナル曲ということで何やらアンビエント(?)な雰囲気。私があまり触れたことのない音楽。ラストの曲は分かりやすくノリのいい感じだったので、「最後の曲が一番好きだよ」と声を掛けたら、それは他人のカバー曲だった(^^;)…誉めるって難しい。

ちなみに昨晩はバーで永ちゃん(矢沢永吉)など吹いてきました。結構楽しかったんだな、これが。

ひとつの節目

昨日はありんこのりんこ(ジャズ)のライブだった。いつもお世話になっている品川で、夏恒例となった野外演奏。やる方も暑いが観るほうもタイヘンだ。それでも観ていってくれる方々がいるのは本当に嬉しい。この感謝の気持ちをどこで返せばいいのか戸惑うぐらい嬉しい。もちろん演奏で返すべきだよね。ちなみにありんこのりんこはドラマーがバンドから寿退社するため、4人での活動はコレが最後になる。何年も一緒に演奏してきたメンバーでのラストライブ…。なんてことを考えてしまうと演奏中に泣いたりして困るのだが、何かが終わるんだという感覚は不思議なことに全くなく、むしろ普段よりHighなウキウキした感じでステージに臨んだ。他のメンバーも普段と変わらぬ様子。ラストなので、いつもより時間をかけてメンバーを紹介した。今後は音楽活動から離れるというドラム君には、しばらくは大変になるであろう生活を是非乗り越えて頑張ってほしいな。ライブ終了後は4人で記念撮影。そういや、いままで一枚もなかった(^^;)。自分達のやれるだけのことはやって燃え尽きた、そんなすがすがしい気分で一日が終わった。

演奏中は夢中で他の事など考える余裕がなかったのだが、バンドが生まれてヨチヨチしている頃から聴いてくれてる友人達が、昨日の演奏を親心でそれぞれじっと見守ってくれていたのを後になって知り、今頃ジーンとしてます(ToT)。今までありんこのりんこをオモテでそして陰で応援してくれた皆さん、本当にありがとう。

一夜明けて…

nekojarashi.jpg一匹も居なくなった。ただの一匹も。不思議なことに、こうなると自分で仕掛けたくせに何だか淋しい。本当にみんな死んでしまったのか…。人間とは実に勝手なイキモノだなぁ。例えがずいぶん突飛とは思うけど、戦争という名目で敵兵を殺したことのある兵士も、戦争中は無我夢中で自分を正当化していても、一度はこんな感覚に陥るんじゃないかな、なんて考えてしまった。「どこかで生きていてくれ!」みたいな。一方、生命の終わりと始まりを語るかのように、今朝ベランダの鉢植えには生まれたばかりの猫じゃらしが揺れていた…

蟻よごめん!万が一また部屋に蟻が発生しても、次は駆除しないかも。他人が聞いたらバカバカしい感覚かもしれないが、目的を達成したというのにあまりイイ気がしない。毒餌を一心不乱に仲間のもとへ運ぶ姿を見てしまったのがきいたらしい。しかも携帯カメラで撮ろうとすると、フラッシュの光に反応してテケテケと寄ってきた。か、かわいかった…

ありんこ発生中…\(◎o◎)/キャ~!

ari.jpgけさ右腕に違和感があって目覚めた。蟻が乗ってた。電気をつけて見回すと、小さな蟻が5匹ほどいる。あ゙~!夜明け前だというのに近所迷惑もかえりみず掃除機をブンブンいわせ格闘。その後、駆除剤情報をネットで調べ、夕方買って早速仕掛けてみた。これは罠に入れてある毒入り餌を蟻が巣穴に持ち帰り、それを食べた巣穴の仲間もろとも全滅するというものらしい。効果テキメンらしい。夜になって様子を見てみると…運んでる、運んでる。せっせと働いている。もー、両手で餌を持ってよろけながらも一生懸命に歩いている。んー。んー…ごめんよぉ。この駆除剤を仕掛けた人のホームページに、「せっせと巣に化学兵器を運ぶ様子を見てたらちょっと罪悪感が。」という言葉があったが、まったく同感 …。君達に罪はないんだよなぁ、許してくれぃ m(_ _)m

昼間は近所の老人ホームでコーラスのピアノ伴奏をするつもりだったが、行ってみたらピアニストの方がいた。あっらー。私は所詮ピアノモグリですからねー。こういう場合、私はコーラス側に回って一緒に歌ったり、他のボランティアさん達と協力してお茶の用意をしたりしてお手伝いする。私は歌が下手だけど、みんなで歌ったら結構楽しい時間になった。そしてコーラス時間と片付けが終わるとボランティアだけ集まって「お疲れー」のお茶タイム。コーラスのボランティアは皆さん60代前後。私はココに来るようになってから、昔流行った歌声喫茶っていうのに興味をもちました、と話したところ、みなさん高校時代に相当通ったという話で盛り上がる。どんな雰囲気だったんだろうと常々興味があったので、実際にその時代を過ごした方々のナマの声がきけてとても嬉しかった。当時の伴奏はアコーディオン、客は知らないもの同士でも最後は肩組んだりして楽しく歌ったそうだ。イイ話じゃないか、泣けるぞ。しかも、最近復活して週末だけ営業している店が新宿にあるそうだ。行ってみたい!誰か興味ある人、ご一緒しませんか(笑)客層はやはり「当時青春時代を過ごした」世代の方が多いらしい。おじさんやおばさんがイキイキと歌う様子を、是非拝見したいな。

中庸の美 vs. 天地両極を具有する美

人によってその判断が大きく分かれる、価値観というヤツ。だからこそ人は自分固有の感覚にどこまで固執すべきか永遠に悩み続けながら美を追求していくだろう。でもその自分固有の感覚ですら、何を根拠としていたか見直す機会も時には必要だ。

ajisai.jpg今朝、道端に水色のあじさいが咲いていた。決して派手な花ではないが、色は穏やかで心地良く花びらも欠けていず、その完璧さがトータルで美しいと感じた。かといって感涙するほどではない。そこでふと思ったのは、もしここに一輪の鮮やかな花があり思わずハッとして立ち止まったとしよう。みずみずしい花びらを我を忘れて見つめていた時、そこにたった1個の傷を見つけたとしたら、どう感じるかなと。傷によってその花への興味はたちまち失せ、他の個体を探し始めるのか?傷にもめげずに眺め続けるか。それともいっそあじさいを選ぶのか?この世に完璧というものが存在しないとすれば、心を揺さぶるような美を持ちながらも傷のあるもの、一方ありふれた美ではあるが欠点の無いもの、どちらを最終的により美しいと感じるか、どちらが好きか?子供の頃「コレきれい~」と木の実や花びらを夢中になって拾い上げ、大人に「でもここ傷があるわね、そっちのやつもキレイよ」となにげなしに言われ戸惑った。純粋に美しいと感じたままの感覚を増幅すべきか、傷を排除するトータル美を重視すべきか。今の自分はどっち傾向?そしてこの先どっちへ行きたい?これは視覚的な美に限らず音楽にもいえるし、味覚やもしかすると対人関係にも言えるかもしれない。

kabin.jpg同じ文化圏にいる者同士には、美を感じる共通項がいくつか存在すると思われる(謙遜=美、自慢=醜、など)。人類全般にも最低共通項はあるだろう(花=美、汚れ=醜、など)。不特定多数の人にウケる普遍的共通項の探求にも興味はある。だけど「キレイ」「イイね」の一歩先、つまり感動に到達する美は個人によって異なってしまう。いやそれとも、究極の美は再び普遍的なものになるのか?私の場合、少なくとも音楽に関しては、たった一瞬でもグワッと心を奪ってゆく、傷があろうとそんな美を(コッソリ)追求し続けたい。そんなわけで私はMozartがニガテだ(笑)。究極の美か…生涯に一度でいいから体験してみたいものだ。こう書いてしまうと、確かに"薬"に頼れば天も地獄も見られるかもしれないけど、あいにく私の選択肢には入っていない、誘わないでね(^^;)。

唐突だが「平均」を調べる方法は3つ…(1)単純に全データを足して割った値(mean)、(2)最も出現頻度の高い値(mode)、(3)データを並べて中央にきた値(median)、があったと思う(自信ナシ)。medianの場合まず最大値と最小値を削除した上で残るデータのみ対象にするんじゃないっけ(自信ナシ)。この削除行為に少なからず胸を痛めた高校時代の私がいます(ToT) (一応理系)。何が言いたいかというと、美の平均値計算はしばらく休んで、これまで犠牲にしていた最大値に注目してみたい、人の迷惑にならない程度に。以上、今朝あじさいを見て感じたこと、デシタ。こーゆうヒマなこと考えてる人って他にも居るのかねぇ。さぁて、そろそろ仕事しないと。

《追記》 medianとは、データを大きさの順に並べた時の真ん中の値あるいは真ん中の2つの値の平均値、らしい。無視されるのは最大値、最小値だけではなかったのか…

この木なんの木♪

気になる気になる木~。こうして見ているとミカンのようだが、実際の実の大きさは親指の爪程度、木の高さはヒザ丈。前を通るたびに同じ欲求に駆られる…ミカンなのかなぁ、食べてみたいなぁ、でも毒があったら怖いし他人の庭先だしなぁ。とりあえず成長を見守っていくことにしよう。

今日見つけた「運動音痴のイルカ」という記事を読んでたら、ラスト部分で不覚にも涙ぐむ。飼育担当者の愛情が伝わってくる感動的な話だなぁ。

運動音痴のラッキーに家族連れられ声援 東京・品川

 運動音痴のイルカがいる。名前はラッキー。オスで推定10歳。品川プリンスホテル(東京都港区高輪)のエプソン品川アクアスタジアムで、ショーに出演して暮らしている。
 仲間のカマイルカ3頭は、高さ6メートルのジャンプをこなす。でも、ラッキーは3メートルちょっと。尾びれで立ち上がり水上をバックする芸は出来ない。みんなが終わるのを所在なげに待っている。
 群れで1頭だけのオスだが、一番の怖がりだ。一番芸の覚えが悪くて、一番くじける。だけど、一番大きな声援を受ける人気者だ。
 これでもずいぶん頑張って上達したから。「ラッキー、いいぞ」って。何だか、やさしい気持ちになれるから。「うまく出来なくても、いいじゃない」と。
 今日も奮闘ぶりを見に、家族連れやおじいちゃんおばあちゃん、ちょっと疲れたサラリーマンも、円いプールサイドにやってくる。

◇飼育担当の土屋さん…他と比べず、ほめてほめて

 品川プリンスホテル(東京都港区高輪)エプソン品川アクアスタジアムの人気者、イルカのラッキー。運動が苦手なうえ、すぐにくじけてしまう彼を、ショーのメンバーに育てたのが、飼育担当の土屋祐(ゆう)さん(24)だ。「のんびり、無理せず、出来た時はほめる。心がけたのはそれだけ。だって、ラッキーは自分なりに頑張ってるんですから」
 ラッキーが水族館に来たのは、99年5月。群れの4頭と一緒に日本近海で漁業用の網にかかり、保護され運ばれた。同じプリンスホテルグループの八景島シーパラダイス(横浜市金沢区)。人間でいえば、まだ小学生ぐらいの子どもだった。
 土屋さんが専門学校を卒業し同グループの水族館員に採用されたのは、3年後の02年6月。翌年、成長した5頭の訓練が始まった。土屋さんも新人。「最初から1頭だけ運動音痴。それは仕方ないんですが、人を怖がるので、まず慣れてもらうのが、ひと苦労でした」
 呼んでもなかなか来てくれない。来ても、触ると逃げる。同じ場所にじっとしていられない……仲間がすぐ出来ることに、ラッキーは時間がかかる。そろってショーを披露するアクアスタジアムのオープンまで、あと2年を切っていた。
 「でも、あんまり焦りませんでした。僕も勉強、嫌いでしたから」
 土屋さんが「水族館の飼育係になる」と、専門学校への進学を決めたとき、母まち江さん(53)は泣いて「大学に行きなさい」と止めた。就職があるか分からない。夢より現実、と。母一人子一人で、小学校から塾に通わせてくれた。すまないと思いながら、折れなかった。「大好きなことなら頑張れるから」
 ラッキーを教える時も「訓練を嫌いにならないで」と願い続けた。賢い子。自分だけ芸を出来ないと、いじける。「だから他のイルカと比べず、出来なかったことが出来たらほめる。ほめてほめてほめまくる」。その日の訓練は、そこでやめることも。「出来た記憶を残して、無理しない。得意になれば、自分からするようになりますから」
 昨年4月、スタジアムがオープン。人間でいえば20代の青年になったラッキーは、土屋さんとショーデビューした。1頭だけジャンプは出来なかったが、訓練当初を思えば画期的な進歩。そしてまち江さんは今、毎週のように客席に陣取り、誰より大きな声援を送る。
 「お袋が、よその親御さんに『専門学校もいいわよ』なんて勧めてる。笑っちゃうけど、うれしいですよね。喜んで、ほめてくれる人がいるのは。ラッキーも、きっとそうだと思うんです」
【潟永秀一郎】(毎日新聞) - 7月21日15時19分更新

~~~~追記(2009年8月4日)~~~~

皆と同じにできなくてもいい。ダメでもいい。出来ることを精一杯やればそれでいい。懸命にジャンプに挑戦し続ける姿を愛されたイルカが、8/2に胃の病気で死んだ。
いい所ナシでダメダメなラッキーを応援しながら、逆に自分が励まされるように感じた観客も多いんじゃないかな。
一目だけでも、逢いたかったよ。

東京おもちゃショー2006

そんなモノやってたんだ。16日に終了したらしい。行きたかった…。今日みつけた記事で笑ったのは「はらぺこヤギさん」のレポートの最終行、「ちなみに一度ゴミ箱にいれたファイルを…」。記者は徹底的に取材するのだな(^^;)。同記事内のリンク先にある東京おもちゃショー2006のレポートにある、「バンダイブースで見かけた本郷猛さん(改造手術中)」なども笑える(レポートが…)。ちなみに同ページ上部メニューは「過去記事一覧」「レビュー」「ノートPC」等あるが、右端の「おバカ」コーナーが面白いので、是非ご一読を。
おもちゃって製作者側の遊び心も伝わってきて大好き。でも実際には、そんな意図など考えずとも、遊んでいれば楽しー!

ジャニス ~A Film~

今さらながら、初めてJanis Joplinを観た(もちろん映像で)。何でそんなに有名なのかな~と思って。好き嫌いで言ってしまうと、個人的に歌い方は好きではないけど、ステージを仕切るサマはさすが。もっとブッ飛んだ人なのかと思って観たのだが、話す感じが意外にとても自然体な印象だった。自分にも周りにも嘘をついていない様子が、逆にいえば外部からの攻撃にあまりにも無防備で痛々しく、表情の動きを見ていたら私も何だか感情的に入り込んでしまった。そしてラストの曲Me and Bobby McGeeを聴いて涙が出た…なんでだ、おい(^^;)。と思ってチョット検索したが、この映像見た人はみなラストに流れるこの曲で感極まるらしい。やっぱそうだろうなぁ。だって詞が、声が…。ジャニス・ファンの方、いますか?
第一印象:她合以前的David Coverdale唱法很相似。

女性よりも弱い存在

最近の電車は、ラッシュアワーに女性専用車両が設けられているが、たま~に間違ってる人や何駅も意図的に居座る男も居たりする。かと思えば、カップルで別々の車両に分かれて乗る人達や、発車ベルが鳴っていても一番近い女性車両には乗らずに隣の車両に全力ダッシュしていくサラリーマンもいて、おぉ~、ちゃんとした人だって世の中には沢山居るんだよなぁと嬉しくなる。今朝、女性車両に乗ろうとしたら、端っこで痩せたおじいちゃんが、手すりに両手で必死につかまって小さくなって立ってた。女性に囲まれ震えているように見えた…(^^;)老人専用車両は作らないのかな

ところでこんな記事を見つけた。『好きな音楽を歌ったり聴いたりすると、高齢者の性ホルモンの量が安定する効果があるとの研究結果を福井一奈良教育大教授(音楽生理学)らが13日までにまとめた。性ホルモンの減少は、認知機能の低下やアルツハイマー病の発病率が高まる要因とされており、福井教授らは予防につながる音楽療法を考案したいとしている。…後略…(共同通信)』
後日、この教授の約10年前の著書を借りて読んでみたが、納得には至らなかった…。

音楽と騒音のきわどい差 ~サックス奏者から見たある夜の風景~

昨日のライブは正直いって記憶から抹殺したい。バンド演奏をというより私の演奏を。
バンドの人数に比べてステージが少々狭かった。ギターアンプから私まで距離1mほどしかない為、音が半端なくウルサい。自分の音は完全に聴こえない。モニターが聴こえないどころの話ではなく、私の位置だとアンプのボリュームに負けて、ドラム音すら霞む (/'O';)/。耳から血が出ると思った(少なくとも、目に見えぬ怪我はしたハズ)。曲の構成はあらかじめ決めていないので、互いの顔を見ていないと絶対アウトなんだけど、ギターさんの方はほとんど見られず、つーか耳が痛くてその方向へ顔を向けられず、目を開けても閉じても赤と金の星がずっと頭の中を飛びまくる w(☆o◎)w。マイクが3本、当初からか~なりハウり気味だったが、それがマイクなのか自分の耳鳴りなのか途中で分からなくなり、その頃にはもはや完全に戦意喪失 → お客さんゴメン。シンガーはサウンドチェック時から音量バランスの問題を何度も指摘していたが、私ももっと真剣に主張すべきだった。5分は耐えられても1時間は無理だったな…という教訓を得られたのが唯一の救いか。個人的には「音楽」から一番遠い演奏をしてしまった、そんな夜。客席でのバランスはどうだったんだろ…。

ライブ終了後ひとり早々に店からでて、肩とアゴをガック~ンと落としたまま帰途に着く (´Д`)
さて明日からはまた前へ向かって進むぞっと。一度失敗すりゃ次からは対策を打てるんだし。夜明け前に帰宅し短い睡眠の後、今朝バイトに出掛けようと手をかけたドアの鍵が、ナント開いたままだった…

似たもの同士♪

tea.jpg一応、部屋の中と外なんですが…危うく飲みそうになった、わけないか。いい加減、掃除しないとなぁ。写真なんか撮ってる場合じゃないよなぁ