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サックス 敦

*今日のつぶやき*(1/6) 部屋で育てているギンモクセイが開花中で、香りに癒されています 敦

この世に甦った千手観音

昨日テレビで、中国残疾人芸術団が『千手観音』という演目を披露した。21人全員耳が聞こえない障害を持つ。音は振動として体に響くらしいが、踊る際に最も重要なのは呼吸で合わせるコトらしい。練習風景では、全員一斉に吸い次の瞬間動く、また吸った次の瞬間で動く、というタイミングの取り方のようだった。だから音楽を消しても21人の動作は一糸乱れない。後ろの人が前の人に鋭く息を吹きかけて「変化」を知らせたり、前から後ろへ、後ろから前へ「気配」が走る…。張り詰める集中と緊張感、そして一番前には何とも優しい「観音菩薩」の顔。いや~泣ける。上海雑技団も凄いが、コレも凄い。千手観音という題材が題材だけに、日本人や中国人等の東洋人と、仏教とは無縁の国々の人とでは、感動の内容が違うか?神々しさ、ありがたさみたいなものはやはり伝わるのか?「救われた~!」みたいな(^^)。地上に居ながらにして天国を見てしまった気分だ。

ところで私は手話番組をたまに見るんだけど、なぜかというと耳の不自由な人たちが会話するときの表情の豊かさが素晴らしいから。声を使えないからこそだろう、本当に生き生きした表情で気持ちを伝えているのがすごく印象的で、人間味がある。今回の芸術団も全員耳が不自由だから、その表情は…言葉にできん。

見逃した人へ、中国のテレビに出演したときの様子が今ならココで見られるよ!

ところで千手観音って…(^^;)。宗教に興味が無くても、一般教養として知らないとサスガにヤバイ気が…。仏とか釈迦とか菩薩とか大仏とか閻魔大王とか?他にも有名な登場人物って居るかな、誰が何した人なんだ?(アタマ悪すぎでゴメンなさい)。以下に勉強ノートをまとめとこう。

<千手観音とは>
『六観音の一。限りない慈悲を表す菩薩で、千の慈悲の眼と千の慈悲の手をそなえ、生ある者を救うという。』~大辞林より抜粋
『菩薩の一つ。インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つであり、六観音の一つ。日本語では「十一面千手観音」、「千手千眼観音」「十一面千手千眼観音」などさまざまな呼び方がある。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表わしている。観音菩薩が千の手を得た謂われとして、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経に置かれた大悲心陀羅尼は現在でも中国や日本の禅宗寺院で読誦されている。坐像、立像ともにあり、十一面四十二臂とするものが一般的。四十二臂の意味は、胸前で合掌する2本の手を除いた40本の手が、それぞれ25の世界を救うものであり、「25×40=1,000」であるとされている。「25の世界」とは、仏教で言う「三界二十五有(う)」のことで、天上界から地獄まで25の世界があるという考え(欲界に十四有、色界に七有、無色界に四有があるとされる)。ちなみに「有頂天」とは二十五有の頂点にある天上界のことである。京都・三十三間堂の本尊(坐像)は、鎌倉時代の仏師湛慶の名作であるとともに、十一面四十二臂像の典型作。』
『仏陀(如来)=仏教の最高存在であり、悟りを開いた者。菩薩=仏陀に準ずる存在であり、悟りを開こうと修行している者』~wikipediaより抜粋

<六観音>
『観音像には、基本となる聖観音(しょうかんのん)の他、変化(へんげ)観音と呼ばれるさまざまな形の像がある。阿弥陀如来の脇侍としての観音と異なり、独尊として信仰される観音菩薩は、現世利益的な信仰が強い。そのため、あらゆる人を救い、人々のあらゆる願いをかなえるという観点から、多面多臂の超人間的な姿に表されることが多い。真言系では聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。六観音は六道輪廻(あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、地獄道-聖観音、餓鬼道-千手観音、畜生道-馬頭観音、修羅道-十一面観音、人道-准胝観音、天道-如意輪観音という組み合わせになっている。』~wikipediaより抜粋

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